高知大空襲
1945年7月3日午後4時23分(日本時間)、マリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアンの3島4基地から、姫路・高松・徳島、そして高知への爆撃のため501機のB-29爆撃機が出撃した。翌日未明、120機のB-29が高知市上空に飛来。高知市の上空でB-29両機が接触し落下したほどで、空襲の凄まじさが推察される。死者401人、罹災家屋約12,000戸。
「Wikipedia:高知大空襲」より
※当時、私の母は中学1年生。高知駅近くの線路沿いに住んでいたそうです。
以下、母の空襲の記憶です。
二度とこんな歴史を繰り返しませんように。

それぞれ3歳ずつ年の離れた妹二人を連れて、高知市中水道の自宅から高坂高等女学校(現:高知市立愛宕中学校)の校庭にあった防空壕へ避難しました。
しばらくいたものの、校舎が全面火の海になり「ここも危ない」ということで、久万川の土手に逃げました。
※一人で逃げた母の兄(私の叔父)は、田のあぜ道で前を行っていた人に弾が当たり、間一髪で助かったそうです。

久万川の堤にたどり着いて、足下に何かを感じた。
「何だろう?」とマッチをつけてみると、そこには小学生になるかならないかの小さな女の子が息絶えていました。
この女の子の身元はわかったのでしょうか? 今も忘れることはありません。
※この時見た女の子の顔が今でも忘れられず、平成に入る頃まで毎晩毎晩女の子の顔が就寝前によみがえっていたそうです。
暗くてよく見えず記憶にない少女の洋服を、あえてピンクの上着と水色のズボンに描いています。
「この絵の中ではせめてかわいい服を着せちゃりたかった。」とのことでした。

だんだんと夜が明けて、久万川の土手にズラリと東向けに並んで、昇ってきた太陽を見ました。
普段はまぶしくて一瞬も見られない太陽が、どんよりとした赤紫色で静かに浮かんでいました。
絵・文:中島恒子(2009年)